Advent calender
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入り組んだ路地を進む。時間は深夜零時。人通りのない道。当然ながら通り沿いの店は全て閉まっていた。黒いレザーコートに身を包んだ長身の男は、他に誰もいない道を進んでいる。入り組んだ道を右に曲がり、左に曲がる。男の行く先にある一軒の店が、まだ灯りを燈して営業していた。いや、まだというのは正確ではない。その店は十時に営業を始めたばかりなのだから。深夜に営業しているからといって如何わしい商売をしているわけではない。客引きもいないし、それに前面は全てガラス窓で、店の中は丸見えだ。奥に個室があるようにも見えない。男は中で動く人影を見つけて足を少し速めた。
店の看板には「流華堂」――りゅうかどうと読むのだろう――と書かれていた。それだけでは一体何の店なのか判断できない。男が店の扉を開けると、ドアにつけられたベルがカランと音を立てた。店の者がそれに気付いてカウンターの影から顔を出す。まだ十代後半の青年だった。こんな深夜に店番をしているのだろうか。青年は入ってきた男を見て一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに店の者として客を迎えた。
「いらっしゃいませ」
客はそれにすぐには答えず、店の中を見回した。カウンターの後ろには数種類のカップとソーサーが。そしてカウンターの上にはコーヒーの豆引きや紅茶用のポット。どうやらこの店は喫茶店らしいと思ったが、カウンターの右隣には別のカウンターがあり、そこには筆やら絵の具、何故かガスバーナーまで置いてある。そして2階には他にもまだ何かがあるらしかった。
「相変わらずだな。深夜に開けていても客は来ないと思うんだがね。修理屋」
男はようやくカウンターに腰掛けた。修理屋と呼ばれた青年はくすりと笑いを漏らす。青年は妙な服を着ていた。いや、それは着物なのだろう。しかし青年は細い腰に真っ赤な幅広の帯を締めていた。女物だ。着物は真っ白で、女顔の青年はそれを着ていても違和感がない。時代を錯覚させるようなレトロな店と、性別を錯覚させるような店番の青年。客だけが妙に浮きだって見えた。
「お茶もお出ししていますよ。だからお見えになったのでしょう? 壊し屋さん」
青年の言葉に男は眉を上げた。男の年齢は二十代後半。鋭い瞳は深い闇の色で、どちらかといえば相手を緊張させるような厳しい雰囲気を持っている。そんな男は修理屋の言葉に口の端だけで笑った。
「壊し屋だって? まぁ、当たらずとも遠からず、か。吸っても?」
男が煙草を取り出して訊く。青年はカウンターの下から灰皿をさっと取り出した。
「どうぞ。売り上げには貢献していただけませんか?」
悪戯っぽく言った青年に苦笑しながら、男はポケットを弄った。ライターを取り出し煙草に火を点ける。一口だけ吸って煙を吐き出すと言った。
「熱いコーヒーを」
店内は別に寒くなかった。フェイクの暖炉があるせいだろう。壊し屋はレザーコートを脱ぐと隣の席に置いた。中も黒一色の服装だったが、胸元にあるホルスターとそれにかけられた黒光りする拳銃が邪魔そうに見えた。拳銃を持つことはこの国では違法だが、修理屋の青年は特に表情を変化させなった。壊し屋の仕事が何なのか、知っている様子だ。
「ありがとうございます。でも夜お飲みになるのでしたら、ココアの方がお勧めですよ。心地良い眠りに入れますので。もっとも、当分お休みになられないのでしたら、余計なお世話ですけれどね」
修理屋の言葉に壊し屋は肩をすくめる。
「その通りだ。俺はこれから仕事なんだ。俺よりもあんたが飲んだほうが良い。そうすれば健全に昼間営業できるだろうさ」
修理屋はコーヒーを淹れる手を止めずに答えた。何か楽しそうに笑っている。この店は十時に開き、明け方五時に店を閉める。それでも腕が良いのか、修理の依頼は舞い込んでくるのだ。
「残念ながら、ココアの魔力も僕には通じないようです。僕はね、壊し屋さん。眠るという孤独な行為に耐えられないんです。朝起きて、自分が孤独だと知るよりは、夜に起きて皆が孤独だと知る方が、幾分か慰められる。壊れているのですよ」
自嘲するわけでもなく、本当に楽しそうに答えるのだから調子が狂う。
「直せないのか? 修理屋なのに」
楽しそうな修理屋は、壊し屋の皮肉にもさらりと答える。
「えぇ、もう諦めてしまったものですから。どうぞ」
カウンター越しにコーヒーを渡すと、青年は店の右側にある別のカウンターへ移動する。そこには絵筆と絵の具、そして絵の描かれた紙が一枚。古めの物のようだが、どうやら修復中の物らしい。西洋風の絵だ。青年は着物の袖をまくって細い色白の腕をむき出しにする。そして所々傷んだ絵を筆でもって修復していく。壊し屋は和風の服装で西洋の絵を修復する修理屋の姿を見てコーヒーを一口飲んだ。
「絵本か?」
修理屋は修復の手を止めずに答えた。
「いいえ、これはカレンダーです」
言われて壊し屋は改めて修理屋の手元を見た。なるほど、冊子体ではない。しかし普通のカレンダーのように十二枚あるようには見えない。少し厚めの紙が一枚だけだ。
「短いカレンダーだな」
壊し屋のコメントに、修理屋は一度手を止めてカレンダーを持ち上げて見せた。ただ絵が描かれているわけではない。そこには小さな窓があり、子供用の仕掛け絵本のようになっていた。カレンダーという割には、数字は書かれていない。修理屋はひとつ目の扉を開けて見せた。
「クリスマスを迎えるためのものですよ。アドヴェント・カレンダーといいます。降誕節に入ると、クリスマスに近づく度に、ひとつずつこの扉を開いていくのです。中にはそれぞれの形で降誕節を待っている人や、動物が描かれています。そうして日々を反省しつつ、清らかな気持ちでクリスマスを迎えるのですよ」
その台詞に顔をしかめて、壊し屋はまたコーヒーを飲む。煙草は半分も吸っていないのに、灰皿に放って置かれて短くなっている。
「じゃあそれは一年ものだろう? 何年も同じものを使うわけではないだろうに、どうして修復する?」
またカレンダーをテーブルに置いて修復を再開している修理屋に、壊し屋が訊く。
「日にちはついていませんからね。毎年使えなくもないでしょう。それに先方がおっしゃるには、これは魔法のカレンダーだそうです」
「魔法の?」
壊し屋は鼻で笑った。修理屋はそんな壊し屋の様子など気にせずに、修復のために絵筆を動かしながら話し始めた。
「ある願いを持っている方がこの扉を開くと、中の絵柄は人によって違って見えるそうですよ。
例えばある男性が遠い場所にいる女性のことを想っていました。その男性がこの扉を開けると、そこには毎日同じ女性が時に祈り、時に食事をし、手紙を書く。そんな姿が見えたそうです。そしてクリスマス・イヴ。扉の中の女性は親元へ帰っていました。男性はもしかしたらと思って彼女の実家を訪ねました。彼女はそこに居て、男性は彼女に愛の告白をします。彼女は男性を受け入れ、幸福な気持ちで夜を過ごしました。彼は一度家に帰り、最後の扉を開けました。そこにはキリストの誕生した姿ではなく、ずっと扉の中にいた女性と、彼に似た男性が抱き合っている姿が描いてありました。彼はそのカレンダーを想いの届いた女性に見せてあげようと思い、クリスマスの次の日に彼女の所へ行きました。しかし彼女に見せた時には、男性の見た絵は無く、ごく普通のアドヴェント・カレンダーの絵柄だったのです」
話し終わると、見ていたわけでもないだろうに修理屋は壊し屋の前のカウンターに戻ってきた。丁度壊し屋がコーヒーを飲み終わったところだったのだ。そのタイミングが良かったのも、ただの偶然だろうか。
「メルヘンだな。それで無ければ妄想だ」
黙って聴き終えた後の壊し屋のコメントに、修理屋はやはり楽しそうに笑った。
「素敵なお話だと思いますけれど? 壊し屋さんもクリスマスを楽しく過ごされたら良いのですよ。古い物ですけれど良質の品がありますから、お渡ししましょうか? 残念ながら魔法はかかっておりませんけど」
壊し屋は修理屋の声を聞きながら、新しい煙草に火を点けた。
「一日に少なくとも一回は不道徳な行いをする人間には、縁の無いものだな。きっとその魔法は信心深い人間にだけ応えてくれるものなのだろうさ」
ホルスターにかけられた拳銃に片手を置いて壊し屋は言った。修理屋はコーヒーカップを片付けてからカウンターを回って、椅子に引っ掛けられた壊し屋のコートを取り上げた。
「別にキリストの誕生を祝う気持ちは必要ないと思いますけれどね。本当に彼の誕生日が十二月二十五日であるとは言えないようですから」
煙草を灰皿に押し付けて、壊し屋は腕時計を見る。仕事の時間が近づいたようだ。壊し屋が立ち上がると、修理屋はコートを広げて渡す。
「イヴもやっているのか、修理屋」
コートに袖を通しながら壊し屋が訊いた。
「えぇ、夜になら」
答えた修理屋の赤い帯の端を手で玩びながら、壊し屋は笑った。
「気が向いたら来る。ごちそうさん」
身を翻して、カランというベルの音をたてながら店を出て行く壊し屋の後姿に、修理屋は丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございました。お仕事気をつけて、壊し屋さん」
壊し屋は後ろ手に手を振ると、夜の闇の中へ消えて行った。修理屋はまたカウンターへ戻ると、長い夜をアドヴェント・カレンダーの修復に費やすべく椅子に座った。そして今年のクリスマスは雪が降ると良いな、とぼんやりと思ったのだ。